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2010年05月09日

台湾の報告―番外編―

徒然なるままに…。

台湾では多くの場面で多くの人に親切にして頂きました。
国際会議ということで世界中から人が集まっていて、
沢山のボランティアの方々がいらした会議場だけではなく
街角で、バスの中で、タクシーの中で、などなど。
日本に親しみを持っていて、日本語で話をしてくれた年配の方や、
バスを降りるときに小銭がなかったので乗客の人が
代わりに払ってくれたのだという微笑ましいエピソードも聞きました。

そしてはっきりと線を引くことは難しいけれども、
かつて私たちが住むこの国にもあったことで、
今は失ってしまったもの、そんな風に感じるものがありました。
最初にそのことを感じたのはお手洗いです。
個室の隙間に、考えさせられるものがありました。
個室に人がいることがわからないと治安上問題があり
個室の隙間がとてもあいている国もあるなど、
お国柄が見える部分かな、と思っています。
日本においては、盗難や盗撮など
トイレだけではなく様々な場所、マンションのベランダで
エスカレーターに乗りながら、
先生が生徒を盗撮する、会社において同僚を盗撮をするなどなど
社会問題化しています。
これらの何をおぞましいと感じるか。
「性の商品化」がコミュニケーションや信頼関係を上回っている。
そのような社会は社会として機能していかないのではないか。
人間関係にコミュニケーションは欠かせない。
その延長線上に信頼関係が築かれる。
その根本に「相手を尊重する」ことが前提であることは
いうまでもありません。
今、日本のこどもたちは
知らない人に声をかけられても話してはいけません。
注意しないといけません。
ついていってはいけません。
と教えられます。
こどもたちを取り巻く環境は厳しく、事実、
犯罪にまきこまれたという悲しいニュースを多く聞きます。
台湾にいるときに、このような日本が失ってしまったかもしれないものを
台湾にはまだ存在していることを感じたのです。

『「分かち合い」の経済学』神野直彦先生著(岩波新書)に、
ヨハネ・パウロ二世が二つの環境破壊を指摘している点に
触れている部分があります。
一つは「自然環境の破壊」であり、
もう一つは「人的環境の破壊」である、と。
人は比較的環境破壊には関心があるが、
自らの人的環境の破壊には関心がないために、
人的環境を保護する「ヒューマン・エコロジー」への努力の
大切さを説いています。
しかも「自然環境や人的環境といった、市場の力だけでは保護されない
公共財を保護し、保全すること」は政府の使命である。
日本では政府のこうした使命は放棄されている、と。

人間は他人を信頼しているかという問いに、
「そう思う」「ややそう思う」という肯定的に回答した学生は
フィンランドでは7割を超えているのに、
日本では3割を割っている。
さらに、この社会では気を付けていないと誰かに利用されてしまう
という問いには、
肯定的に回答した学生は、
日本では8割、フィンランドでは2割を超えるにすぎない。
という調査結果も紹介されています。
台湾ではどのような結果がでるのだろうか、などど考えました。

さて、「ふ〜ん」で終わってはいけなくて、
今の社会の状態が、
神野先生風に表現すると「人的環境が破壊されてしまっている」
状態を、私たちの国はよしとするのか。
もしこの状態をよしとするのならば、何を目指して何を得るのか。
日本にとって何が大切なのでしょうか。
失ったものを再び手にすることは困難なことです。

経済学の本だというのに、
いつしか泣きながら読んでいることに気付いた時、
政治の世界にいる己を振り返りつつ、「甘いなあ」
といつもの如く反省するのでしたバッド(下向き矢印)

芦屋市議会議員 中島かおりホームページへのリンク







posted by 中島かおり at 20:50 | かおり通信
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