そう思って、この世界に飛び込んで3年。
自分なりにできる準備はしたものの、
政治は住民に身近でなければならないとの想いから、
無謀にも無所属で立候補して、
地方議会議員となって3年が過ぎた。
よく当選したとその当時思ったし、
今も折に触れてそのように感じることはしばしばだ。
多くの方々の支えと愛を感じつつも、
その実感と引き換えに多くのものも零れ落ちた。
―どうやって生きていこう?
と思ったときも
―何とかなる!
と歯をくいしばって笑顔で乗り切っている今がある。
さて、先日仲間内で、
このままでは日本はなくなってしまうのではないか、
今の危機的状況を憂いつつ
何故幕末のように志士がでないのか、
との話しになり、
今は幕末ではなく、元禄時代だと。
元禄といえば文化が花開いた時代。
そう、iPad に iPhone
があるとの指摘に、
これらのツールは文化なのか、と
変なところに感心しつつ…。
江戸時代末期の幕臣に、
小栗上野介忠順(おぐり こうずけのすけ ただまさ)という人がいる。
幕末の志士としては有名ではなく、
むしろ地味な人ではあるが、偉大な業績を残している人である。
作家司馬遼太郎氏は彼のことを「明治の父」と言い、
大隈重信は「明治政府のやった改革は、小栗の模倣に過ぎない」とも。

ある幕臣が
「幕府の運命もなかなかむつかしい。
費用をかけて造船所を造ってもそれが出来上がる時分には
幕府はどうなっているかわからない」
と、小栗氏が建設しようとしていた造船所に反対した時、
小栗氏が語った言葉である。
大局的に物事を見通さなくてはならない、ということか。
さて、彼の残した他の言葉に、このような言葉もある。

幕府が滅亡したるはこの一言なり」
中島かおりは幕末の志士にはなれない…。
