東北地方太平洋沖地震に関する決議
去る3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
今回の地震は、東北地方を中心に広い範囲で、強い揺れや目を疑うような巨大な津波により、一瞬にして多くの尊い人命が奪われ、行方不明者をもたらした。さらに、家屋の流失やライフラインの壊滅的な被害をはじめ、福島第一原発の重大事故をももたらす未曾有の大災害となった。
この惨状は、16年前、阪神・淡路大震災により甚大な被害を受け、寒空に投げ出された本市にとって、当時の記憶とも重なり決して他人事とは思われない。あの時、今回の被災地を含む全国からの支援をいただいた芦屋市民を代表して、今後できる得る限りの支援を継続していくことを決意する。
いまだ被害の全貌すらつかめない中で、その影響は被災地のみならず国民生活全般にも及ぼうとしている。国におかれては、その全力を挙げて被災者の救済並びに被災地の復旧に向けて、財政的な支援も含め、万全の対策を講じるよう強く要請する。
このたびの被災地の早期の復旧・復興を心から念願する。
以上、決議する。
芦 屋 市 議 会
議会事務局長をはじめとして、理事者で退職される方々などのご紹介がありました。
寂しくなります・・・。
約4年間のことが思いおこされました。
いつも議会最終日には「最善をつくすことができたのか」と
自らに問いますが、今回は特に、です。
あんなこと、こんなこと。
当局と随分議論したこととか。
反対にこちらの記憶は薄れていることでも、
覚えられていることもあるのかな、とちょっと恐くなったりもして。
この場で「発言することを躊躇するようなこと」になったら
議員をしてはいられない、と、自らを戒めつつも。
芦屋市総合計画の策定と運用に関する条例の提案 については、
継続となりました。
本会議で提案理由を説明した際、
質疑はなく、拍子抜けをしました。
付託された委員会は、東日本大震災のおきた日の午前中でした。
理事者側の最前列を、「魔法の椅子」と秘かに呼んでおりましたが、
そこに座ると、宝塚音楽学校の生徒のように
背筋がのびます。
この4月から始まる第4次総合計画は約2年かけて議論されており、
議会も議案として仕上がったものを見るだけではなく、参画できないか、と
一昨年、議会でも議論できる場として特別委員会等の設置を求めていたこと。
一年前フォーラムで知り合った自治体職員さんの議会改革についての兵庫県内での講演を聞いたこと。
法律で定めのある総合計画(基本構想)の法律改正が提案されたこと。
阿久根市など首長と議会の対立という状況が一部見られること。
多治見市にも視察に行かせて頂いておりましたが、
総合計画に関する条例提案を視野に、議会改革等で有名な栗山町を視察。
一方で、総合計画特別委員会等の設置が叶わなかったために総合計画審議会を傍聴しながら、
行政の担当者には、その都度、話しをさせて頂いたりしました。
総合計画の期間については、昨年の段階で、
4年(首長の任期)の倍数ということで、8年を考えていました。
何故計画期間が10年なのか?
担当者に聞いたものを会派内で話し合い、
8年の案をやめて、10年にしたのです。
実施計画3年では1年余ることについても、しっくりいかず、
他の会派の議員さんも同じような疑問をもたれましたが、
毎年ローリングするから問題がないなど多くの意見交換、議論をし、
議会内においては勉強会を開催。
その結果、シンプルなものとして条例提案しました。
初めからこの案をつくったのではなく、時間と議論を重ねた結果でした。
委員会質疑において、その点を上手く伝えられなかったように感じました。
しかし、委員会質疑において「総合計画の重要性」については、
多くの発言から共通の認識であるように感じ取ることができたことは
大いなる収穫だったと思います。
結果は継続になり残念でしたが、
「会派」として提出できたこともまた、意味があることだったと感じています。
本会議終了後、芦屋市議会議員団としての
「東北地方太平洋沖地震被災者救援募金活動」
における募金を市長に手渡しさせて頂きました。
ご協力頂いた皆さま、ありがとうございました。
