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2012年04月04日

議会改革特別委員会(11回)

殺伐としています。

2008年末の「年越し派遣村」村長として知られる湯浅誠さんが
今月7日、内閣府参与を辞任しました。

湯浅誠氏については、中島かおり12回目の一般質問の冒頭に触れたことがあります。

http://nakajima-kaori.net/html/201012_question%20-giji.html


今回の辞任にあたって

「入って」みたら見えたこと(毎日jp 特集記事)より。


 社会運動家が政府に入って見えたことは何か。

それは、政治が「調整」の現場であることだったという。

 「90年代にホームレス問題に関わっていたころ、
社会や世論に働きかけて問題を解決したいという思いはあったが、
その先の永田町や霞が関に働きかけるという発想はなかった。
こちらが投げ込んだ問題は、ブラックボックスを通して結果だけが返ってくる。

『政治家や官僚は自分の利益しか考えていないからどうせまともな結論が出てくるはずがない』
と思い込み、結論を批判しました。
しかし参与になって初めて、ブラックボックスの内部が複雑な調整の現場であると知ったのです」

 ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、
あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。
しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。

「以前は自分が大切だと思う分野に予算がつかないのは『やる気』の問題だと思っていたが、
この状況で自分の要求をすべて通すのは不可能に近く、
玉虫色でも色がついているだけで御の字、という経験も多くした」

 そして、こんな教訓を得たという。

「政府の中にいようが外にいようが自分は調整の当事者であり、
『政府やマスコミが悪い』と批判するだけでは済まない。
調整の一環として相手に働きかけたが結果が出ない

−−それは相手の無理解を変えられなかった自分の力不足の結果でもあり、
工夫が足りなかったということです。
そういうふうに反省しながら積み上げていかないと、
政策も世論も社会運動も、結局進歩がないと思う


 それは、自らに「結果責任」を課すということだ。
思わず聞いた。ブラックボックスの中身って、知らない方が楽じゃありませんでしたか。

 湯浅さんは「それはありますね」と苦笑した。
「でもね、複雑なことについて、その複雑さが分かるというのは悪いことではありません。
物事を解決していくには、複雑なことの一つ一つに対応していく必要があります


そして、この先、

シンプルとは「切り捨て」だ と記事は続きます。

「橋下さんが出てくる前、小泉純一郎政権のころから、
複雑さは複雑であること自体が悪であり、
シンプルで分かりやすいことは善であるという判断基準の強まりを感じます。
複雑さの中身は問題とはされない。その結果の一つとして橋下さん人気がある。

気を付けなければならないのは、
多様な利害関係を無視しシンプルにイエス・ノーの答えを出すことは、
一を取って他を捨てるということです。
つまり、世の中の9割の人は切り捨てられる側にいる」

 「けれど、自分たちが切り捨てられる側にいるという自覚はない。
なぜなら複雑さは悪で、シンプルさが善だという視点では、
シンプルかどうかの問題だけが肥大化し、自分が切り捨てられるかどうかは見えてこないからです。
それが見えてくるのは、何年後かに『こんなはずじゃなかった』と感じた時。
本当はそうなる前に複雑さに向き合うべきですが、
複雑さを引き受ける余力が時間的にも精神的にも社会から失われている。
生活と仕事に追われ、みんなへとへとになっているんです」

ひらめき
議員は選挙を経て議員となる。
皆がそれぞれに「公約」といわれるような約束をして立候補する。
芦屋市議会には、22名の議員がいる。
決して多くはないが、立場が違う。
自分の描く「議会」「議員」を全員が満足させるということは不可能である。
その複雑さゆえに、議会改革特別委員会の場における議論が
「対立」の構造とみえるかもしれない。
本来は「対立とみえること、は事実ではないはず」であるにもかかわらず。

今、全国の流れと同じく、議会改革特別委員会にて議論している。
しかし、全てを現状のまま、とするのなら、それは改革とはなり得ない。
現状を維持しようとすることすら、何もしなければ「維持すること」は可能ではなくなるはずだから。

相手の無理解を変えられなかった自分の力不足の結果でもあり、
工夫が足りなかった
そのような反省を積み上げていかないと、
政策も世論も社会運動も、結局進歩しない

この潔さを、再び自らを奮い立たせる力としてお手本とできるように。

やっても無駄である。

という議員さんがいます。
無駄になるかどうかは、やってみなければわからない。
そう、「宝くじ」と同じように、買っても当たらないかもしれないが、
買わないと当たらない。

やっても無駄である と思っては議員なんてやっていられない。
しかし、それは、中島かおりの考えであって、
無駄にならないことしか、やらない という考え方もあるのだろう。

議会とは、複雑さそのものである。
だからこそ、「ほんの一歩」は果てしなく「困難」であっても
踏み出さなければ、芦屋の輝く未来はないのだ、と。

議会改革特別委員会における提案が、一致をみることなく没になったとしても
また、新たな提案をすればよいのだ、と。
今日の委員会中に閃きました。
まず、会派におけるプレゼンテーションも最初のハードルですが、
「無駄になるかもしれない」と考える暇はないように
頑張りたいと思います。

税金から報酬を頂くというプレッシャー
ずっと闘ってきました。
2年生になり、「複雑さ」を理解するようになるとともに、
税金から報酬を頂くというプレッシャー
も益々強くなっていきます。

芦屋市議会議員 中島かおりホームページへのリンク

posted by 中島かおり at 23:20 | かおり通信
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