宝塚市長 中川 智子 氏
芦屋市の70周年記念行事の時にもお越し頂きました。
思いがけず、お話しの半分は
阪神・淡路大震災
に関連することでした。
そう、思いがけず…。
1995年1月17日に芦屋で被災した当時の記憶に戻るのです。
こんなに月日が経つのに…。
このような時、心はいうことをききません。
拭っても拭っても涙も出てきます。
被災者の人たちが当時よく、自分が死んでいればよかった…。
そういって多分ご自分を責めていたのだと思いますが、
中川市長がそのようなお話しをされた時に、笑い声がおきました。
自分が生き残ったことに罪悪感を覚え
あの人よりは、自分が死ねばよかった。
あるいは、あの地震で死んでいればよかった。
そのような思いを持たれた方は少なくはないと思います。
私自身も、何年経とうと思うことがあります。
だからこそ、生かされた命を大切に生きていかないといけない。
それなのに、どうして笑い声だったのだろうか。
どこの議員だろうか。
そして、私の隣ではスマートフォンを触っている議員に気付きました。
阪神間の議員なのに、この人は当時被災しなかったのかな。
そんなことより、「今」が大事で、スマートフォンなのかな。
議員って何なのかな。
永遠のテーマです。
