そして、今でも阪急芦屋川の駅に立つとき
小・中・高校時代の懐かしい制服姿の後輩を見かけ懐かしく感じることも度々あります。
もちろん、自身にもこの駅には色々な思い出があり
時に蘇ることがあります。
宝塚音楽学校に入学後は、
朝5時過ぎの始発にのり
阪急電車に乗っているかもしれない上級生をはじめとする上の方々に対して
電車が通るたびに頭を下げることを知ったことを
今でも懐かしく思い出すことがあります。
学校時代の恩師の方が亡くなられました。
学校卒業後、宝塚歌劇退団後も
時にはこの駅であるいは電車でお目にかかることがありました。
議員になってからは
「貴女のように一生懸命な人が議員で芦屋の人は幸せですね〜」
といつもニコニコしながらお話し下さいました。
先生が大好きだったという「校歌」を歌ってきました。
白雲なびく 六甲の 松の緑にいやはえて
山秋冷の生をうく われらが乙女 学び舎は
歌劇のくにの宝塚 歌劇のくにの宝塚
心からご冥福をお祈りいたします。
