今日印象に残った言葉です。

人間への信頼がなければ、対話はただの茶番劇のようなものだ。
どう欲目に見ても、ただの甘い言葉に満ちた温情主義になるだけである。
愛、謙虚さ、人間への信頼、これらがあってはじめて対話は水平的なものとなり、
お互いの関係が本来の意味での深いV信頼’に満ちたものになることは当然である。
愛に満ちていて、謙虚で、深い信頼に満ちているのに、
お互いの深い信頼関係につながらないなどという矛盾は起こらない。
だからこそ人間への信頼は、対話の先駆的与件ともいうべきものであり、
そして信頼の関係は対話によって作り出される。
信頼の関係がないということは、その前提条件の対話に欠けるところがあったのだろう。
パウロ・フレイレ 「被抑圧者の教育学」より
議会の中において改めて「信頼関係」ということを考えさせられる局面に出会うことがあります。
何よりも優先されるのは「力関係」あるいは「声の大きさ」だけでよいはずもなく…。
でも、信頼関係がなければ対話は成り立たない、ともとることができるのでしょうか。
政治の世界における「信頼関係」というのも興味深い分野であるのかもしれません。
