中島かおりにとりまして
多くの方々と出会い、より多くのことを学んだ一年でもあります。
4月には3度目の選挙を経験し、
6月11日から3年生議員となりました。
多くの方々の優しさに触れ、
励まされることを痛切に感じた一年でもありました。
その他にとても印象深いことのひとつに、
かねてより憧れの地のひとつである、塩狩峠を訪れる機会を得ました。
中高生時代に出会い、かつては一年に一度は三浦綾子さんの小説『塩狩峠』を必ず読んでいました。
そして「自らの命を他の人のために役立てる」
自らの最期をその様に願うようになったのも、10代のその頃でした。
初めて訪れた「塩狩峠」は、思いがけずゆるやかな坂に存在する場所でした。
峠というとどのようなイメージをお持ちでしょうか。
塩狩峠は言われなければ気づかないような峠でした。
だからこそ、『塩狩峠』のようなことが可能だったと納得がいきました。
では、塩狩峠で何がおこったのか。
1909年(明治42年)2月28日、塩狩峠に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れ
客車が暴走しかける事故がおこり、
その車両に乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)職員の長野政雄(ながの まさお)氏が、
暴走する客車の前に身を挺して暴走を食い止め、乗客の命が救われたのです。
三浦綾子さんの小説『塩狩峠』はこの実話を元にしています。
小説を読んだ時、人ひとりが飛び込むだけで列車が止まるものだろうか、
という疑問はずっと持ち続けていたのですが、現地に行ってみて初めて納得がいきました。
お連れ頂いた方がご案内くださって、峠にさしかかっていることに気付いたくらいです。
そして、その長年の謎も解けました。
その地で人生を深く考えてしまいました。
その頃想像もし得なかった「議員」となり、自分は何に向かっているのだろうか、と。
しばらく声をかけにくかったですよ、とお連れ頂いた方に、後で言われました。
だって、深く人生を考えてしまっていたのですから。
これまで大学などで講演をさせて頂く際も「人生何がおこるかわかりませんよ!」
と学生さんにお話しさせて頂いてきましたが、本当に人生何がおこるかわかりません。
改めて自らと向き合う時間を持った次第です。
そして、どのように選んだ道なのか、というよりも、
どのように生きていくのか。後悔なく、前向きに進むのか。
といったようなことが大事なのではないでしょうか。
議員となったが故に、色々と嫌な場面や、人の醜い部分に晒されること、
「今までこんなに性格の悪い人に出会ったことがない」というほどの人にも会ってしまい、
妬みや嫉みを、知らない間にぶつけられるなど、
想像もしなっかった場面が次から次へとおこります。
それでも自らの志を持って、どれだけ自分を何かに役立たせることができるのか。
そちらに重きをおいて生きていきたいと、恐る恐る自らを鼓舞しながら誓いをたてました。
重ねて申し上げますが、中島かおりにとりまして、多くの方々の優しさに触れ、
励まされることを痛切に感じた一年でした。
変わらず支えて応援してくださる皆さまに感謝することはもちろんですが、
「マイナスのエネルギーを中島かおりに向ける人たち」にも、
そこから多くのことを学ばせて頂いていることを考えると、
そういった人たちにも感謝をしなければならないのかもしれません。
来年はよい年になりますように。
皆さまにとりましても、実り多い素敵な一年となりますように♪
