今日はよく泣きました…

茶屋之町から大桝町、公光町、そして「芦屋市祈りと誓い」
「ひょうごメモリアルウォーク」出発式の川西運動場、
精道小学校の追悼式。
阪神・淡路大震災以前のことを思い浮かべると、
幼稚園時代(公光町・愛光幼稚園)に記憶が遡り、
今の街並みより以前のことから、その時の記憶にまでとんでしまいました。
今日は日曜日でしたが、子どもたちは登校します。
本当にどうしたことでしょうか。
追悼式では、
谷川校長先生の追悼の辞
当時、精道小学校で勤務しておられた先生、
震災当時小学校6年生で、亡くなられた8名のうちのひとりについて
お話ししてくださるなど、
追悼するとともに、
大震災から学んだ教訓を大切にしていこうとする気持ちが
伝わってきました。
お話を聞きながら、思わず涙が溢れ、抑えきれずに流れました。
昨年は、20年という節目の年でもあり、
芦屋市においても「芦屋市犠牲者追悼式」が執り行われ
ルナ・ホールにおける「震災20年祈念コンサート」の司会をさせて頂くなど
節目の年であることによる行事が多々あったこともあったでしょうか。
今年は昨年よりは静かにこの日を迎えたからかもしれません。
「もう21年」「まだ21年」
どちらにしても、早いです。
そして今日はよく歩きました。3〜4時間位はトータルして歩いたでしょうか。
足がすでに痛いです。
芦屋からHAT神戸、そして新神戸から元町、三宮へ。
「夫を亡くし四十九日を迎えたところに大震災にあい、 悲しむどころではなかった」
という方と30分程当時のお話をしながら、国道沿いを歩いたり。
そして今まで気づきませんでした。センター街の入り口に
3枚のプレートが埋め込まれていました。
今まで気づきませんでした…。
1980年10月 竣工 三ノ宮センター街
1995年1月17日 午前5時46分 阪神・淡路大震災によりアーケード倒壊 カラー舗装損壊
1998年 3月 竣工
随分変わりましたが、それでも懐かしい場所。
今は亡き、色んな人の顔を思い浮かべながら、歩きました。
人の力では、どうしようもないことがある。
時の流れには逆らえない…。
改めて、多くの方々にお世話になり、
被災地に心のこもった助けを頂いたことに感謝し
次につなげていくことを決意してまいりましょう。
あの日を忘れない…。
