それは誰もが経験上知っていることです。
フェイクニュースに対するスローニュース
ということが言われるようになっています。
SNSによって瞬時に情報は世界を駆け巡ります。
しかしそこには受け手側に、読み解く力「メディア・リテラシー」が
必要とされることは言うまでもありません。
スピードと量に対して
対応をせまられるわけですが、
スピードを落とし、深く掘り下げて、伝えるべきことは何か
とい視点をもつことなどを、
二本立てて伝えていく、というイメージでしょうか。
国外の放送局では、
ファクトチェックのプロジェクト「リアリティチェック」に専従チームを置き、
継続的に展開していくことを示している放送局もあるそうです。
ウソ、歪曲、そして誇張との戦いに参加し
データ、調査、分析、専門家の知見による深掘りしたニュースによって、
説明する必要があるとのこと。
確かに、今や「ネット」は仕事に欠かせません。
パソコンが日常化していない時代には
議員さんはどのように情報を得て仕事をしていたのだろうか、と
思うこともあるくらい、
今は手軽に、そして大変便利にネットから情報を得ています。
例えば、他市議会の議事録など検索して読むことができますが、
それに他者からの「一言」コメントがついているだけで
受け取り方に「ニュアンス」がつくと思われます。
また「一部」を提示されることによっても、
受け取り方が微妙に変化する可能性もゼロではありません。
そのようなことを少しでも感じつつ素通りできる人に
「あらら」と思うこともありますが、
まだましかもしれません。
流されて流されて流されて
どこに自分があるのだろうか、という「こと」を見ることも多いです。
きっと、流されることに
ポリシーをお持ちなのかもしれません。
なぜならとびっきり難しいことだと感じるからです。
因みに、特定の誰かを対象としているわけでも
批判しているわけでもありません。
念のため。
色々と考えさせらえることが多いなあ、
と昨今のニュース等から思う次第です。
年度末ですね…。
