blog_notice_20190702.png

2019年10月15日

主体的な姿勢

文化人類学者 原ひろ子先生

直接存じ上げていたわけではありませんが、
放送大学で学んでいたときに、
メディアを通じて、学ばせて頂いた先生でした。
10月7日 ご逝去されたという訃報を聞く中で、
今年度9月13日の東京大学秋季学位記授与式・卒業式 総長告辞にて、
「先輩の挑戦」ということで原ひろ子先生のことが紹介されていることを知りました。

東京大学HPより

原先生は、第二次世界大戦後、大学が女性にも門戸を開くようになった、
その最初期に東京大学に入学された女性の一人です。
現在、東京大学の学生に占める女性の比率は20%程度ですが、
当時は2-3%に過ぎませんでした。
原先生が東京大学に入学された1953年も、
入学者約2000名のなかで女性はわずか58名でした。
このように、原先生が入学された当時の東京大学は、
それまで男性ばかりだった研究教育の場に女性たちを迎え入れ、
新たな大学の在り方を模索し大きく変わろうとしていたのです。
そして、そこに集う人々は、意欲的に未来と向かいあう学問を生みだそうとしていた時代でした。
97.8%が男子学生というなかで、
原先生は、
「人類の半分は女だし、どんな社会にも男と女はいる。
それを女の目でも見るし、男の目でも見るというふうにしていかないと社会は理解できない。
両者の視点が共存することは大切なのだ。だからがんばりなさい」
という指導教員の言葉に大変励まされたそうです
そして、「人間について不思議に思うさまざまな問いを追求する」という文化人類学の面白さに惹かれ、
研究にのめり込みます。

学部、大学院修士課程での原先生は、
日本の農・山・漁村に暮らす人々の生活を、
現地に実際に入り込んで調べるフィールドワークに取り組みました。
そこで、個人がいかに集団や組織のタテマエと共存して暮らし、
他者とどう互いに折り合いをつけて集団の存続を図ろうとしているかを、
細かく観察します。
そこからさらに原先生は、日本でよく見られる
「集団の論理を生活の中心におく価値観」は、
どの社会を生きる人間にも普遍的な現象なのかどうかを考えるようになりました。
そして、リーダーがおらずフラットな社会組織になっていると考えられていた狩猟採集民について
研究してみたいと思うようになったのです

(略)

彼らの子どもたちも、いろいろなことができるようになるために学ぼうとはしています。
しかしながら “学ぼうとする意識的行動は人類に普遍的といえるが、
「教えよう・教えられよう」とする行動は、絶対普遍のものではない”
という発見は、原先生がこのフィールドワークを通じて得たユニークな知見の一つです。

(略)

原先生は、当時は圧倒的な少数派であった女性の一人として、東大に入学されました。
女性も男性と同じように教育の権利や選挙権、相続権が与えられるようになった時代ですが、
そこにも異質なものどうしの出会いがあったはずです。
さらに、ヘヤーの人々のフィールドワークでは、
原先生は、自分が馴染んできたのとは全く異なる自然・物質的環境のなかで、
異なる価値観をもって暮らす人々に出会いました。
大変大事なことは、そこで原先生が、異質なものをしっかり受けとめ、
学問的にとらえなおすことができたということです。
それができたのは、まさに東京大学で出会った学びの多様性、
すなわち文化人類学をはじめとするさまざまな学問の知識や手法があったからであり、
文理の垣根を越え、人類の過去と未来を見渡す大学という場での幅広い教養教育と知的な訓練が
「自分の学問は、自分で築く以外にはない」という
主体的な姿勢を支えていたからだと言えるのです。
この変化の激しい現代において、
自分が馴染んできたのとは異なる環境、異なる考え方をする人々と正面から向かいあい、
新たな関係を作り出していくことが、
我々すべてに例外なく求められています。
その意味でも、今から70年近く前の原先生の挑戦に、私たちは励まされます。

全文は、こちらのHPをご覧ください。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message01_07.html

勇気づけられること
考えさせられることが溢れています。

原ひろ子先生のご生前のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。
posted by 中島かおり at 21:47 | かおり通信
hp-banner2.jpg